🐾 20歳の猫が教えてくれた「生きる力」と、命を育むということ

猫と暮らす

あの日、確かに呼吸は止まった

その日、我が家の20歳になる父猫「やまと」がぐったりと横たわっていました。
最近は後脚が動かなくて、病院へ連れていったものの加齢によるものだと診断され、もうそういう歳だから余生を穏やかに過ごしてもらえたらいいなと思っていたほんの数日後のできごとでした。

歩けなくなって、お気に入りの場所で、お気に入りの毛布で横になったまま過ごした数日間。
夜は妻と交代でそのお気に入りの場所で添い寝をしながら数日が経った時、妻が「息が止まった!」と叫びました。
別の部屋にいた私と息子が駆け寄った時には確かに呼吸は止まっていました。
大きな声で呼びかけると微かな反応があり、呼び続けながらも心ではもうダメだなと、このまま苦しまずにゆっくりと息を引き取ってくれればと、お疲れ様と声をかけてあげたいと、そう思った夜でした。

やまとは小さく鳴きました。
弱々しいけれど、今思えばそれは「生きたい」と言う声だったのかもしれません。
呼吸が苦しいのか10分に一度は口呼吸でぜぇぜぇ言って、その後また落ち着くことを繰り返す一晩を過ごしました。


命は、思っているよりも強い

猫の平均寿命は「16歳」と言われています。
獣医さんの直近の診断ではもう歳なので病気になっても手術はできないし、穏やかに過ごさせてあげることが重要だと診断されるぐらいには老猫です。

その後は少しずつ水を飲むことはできるものの、ご飯を摂ることはできず、スポイトで口にスープを流し込む日が続きます。
おむつを替えます。介護の日々です。
この数日間は妻も私も疲弊していました。
私は仕事にも影響が出てしまい、体力的にはまだ余裕があったものの、仕事関係で迷惑をかけることがプレッシャーで精神的にまいってしまっていました。

そんな中、やまとは必死に動こうとします。立ち上がって歩こうとするのです。
私はやまとの死期が近いことを悟りました。身体からは死に近い生き物独特の匂いもするようになりました。
過去に見送った子たちと同じように、最後の力を振り絞っているように見えました。
可能な限り付き添い、心は張り裂けそうでしたが、やまとが後悔することのないよう動きを止めることなく、ただ見守る日が3日ほど続きました。


そんな日が続いたある日の朝。

目が覚めると、やまとがいつもの毛布の上で状態を起こしていました。

「え??????」

体を起こし、毛づくろいを始めた姿を見た時は涙が出ました。そして思わず声を出して泣き笑いました。
その日は不器用ながらも立ち上がり、後脚は相変わらず動かないので引きずる形ではありますが歩き始めました。いつもご飯を置く場所まで自力で歩いてきたんです。

「この子はまだ、生きたいんだな」
その瞬間、思いました。

猫も人も同じ。
体が弱っても、心のどこかに“生きようとする力”が残っている。
その力を支えるのが、日々の小さな関わり。
声をかけること、撫でること、そばにいてあげることなんだと気づかされました。

それからは眼に力も戻り、特有の匂いもしなくなり、顔つきもこれまでのやまとに戻りました。
生きたいと思ってくれてありがとう、と心からやまとに感謝する出来事でした。


生き物を大切に育てるということ

猫を飼うというのは、ただ「かわいい」だけでは終わりません。
毎日の食事、健康管理、トイレ掃除、そして心のケア。
小さな命を預かるということは、そのすべてに責任を持つことです。

歳を重ねるにつれ、病気や老化が進み、
できていたことが少しずつできなくなる。
でも、それを悲しむのではなく、支えるという発想に変えていく。

たとえば、

  • ごはんを柔らかくしてあげる
  • 寒い日は日向に寝床を構えてあげる
  • 目が見えにくくても、耳が聞こえなくても、声や存在で安心させてあげる

そうした小さな工夫の積み重ねが、“一緒に生きる”ということなのかもしれません。


命の尊さを知ることは、日常を変えること

この20歳の猫は、もう若いころのように走り回ることはできません。跳ぶこともできません。
お気に入りの出窓にあるハンモックに登ることもできなくなりました。
でも、後脚を引きずりながらもゆっくりと歩き、日差しの中で目を細める姿を見るたびに、
「生きてくれている」ことの尊さを実感します。

私たちはつい、当たり前にある命を「永遠」と錯覚してしまいます。大切な存在はいつもいることが当たり前だと無意識に思っているのでしょう。
でも、人間も猫も犬も、生き物だからこそ、いつかは別れが来る。
だからこそ、“今”を大切に過ごすことが、一番の「命を大切にする」という行動なのかもしれません。


まとめ ― 命と共に生きるということ

やまとが生死を彷徨い、そして復活した。
その出来事は、奇跡のようでいて、同時に“日々の積み重ねが生んだ力”でもありました。

愛情は、言葉にしなくても伝わる。
撫でる手のぬくもり、声のトーン、空気のやさしさ。
そのすべてが、命のリズムを支えています。

20歳の猫は今も静かにお気に入りの毛布で寝息を立てています。
その小さな呼吸音が、私に「命を預かるということ」の意味を教えてくれる。

生き物を大切に育てるとは、“生きようとする力を信じて寄り添うこと”なのだと、心から思います。

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